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★太王四神記(済州)★
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猫山峰 観光地区メイン 1セット場 |
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2セット場 |
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その他地域 |
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★太王四神記(ソウルとその他地域)★ |
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莞島の清海鎮 新羅坊セット場 |
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清州の上黨山城 |
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太王四神記のシンボル |
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シンボルの意味
シンボル全体のメイン文様は四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)のイメージを形象化したもので、各々東西南北の世界を表している。
また、これを囲んでいる円形の文様は太陽をイメージしたもので、世界をまとめる太王の絶対的な力を象徴している。
企画意図
このドラマは、私達が歪曲された歴史を学んで来たという前提で企画されました。高句麗最高の権力を持った広開土大王の愛と一生を盛り込んだファンタジー歴史ドラマとなっています。
“物語には天の息子と川の娘が登場し、青龍と白虎、朱雀と玄武、それぞれが臣下として生まれてきます。彼らは、
お互いに愛し合い、憎悪しあい、懐かしみながら数千年の時を経て転生を繰り返します。今を生きる私達一人一人の中にも、
数千年を繰り返して生まれたそんな魂が眠っているのかも知れません。私達が歴史を歪曲し、神話から目を逸らし、失ってしまった
その何かがまだ私達の中にあるのかも知れません。よって、この話は1500年前を生きた私達の話でもあるのです。
−キム・ジョンハク監督の企画意図より−
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あらすじ |
物語は神話化したジュシン帝国時代と高句麗の広開土太王時代。天主の息子桓雄が天の守護神雨師、雲師、風伯を従えて地上に舞い降り、
ジュシン帝国を治めて平和な時代を治めていく間、天の力を欲する虎の部族と火天会が敵対し戦争を始める。戦争中、天の力をむやみに使うようになった雨師、雲師、風伯は自分たちを自責し、それぞれの神物である玄武、白虎、青龍に自らを封印した。その後、封印され
た神物たちは自分たちが仕えるようになる主君のみがえりを待ち、長年の歳月を経て遂にダムドックの誕生を迎え、目覚めることになるのだが…
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主要配役の紹介 |
ダムドック(ペ・ヨンジュン)
物語の主人公広開土太王役、文武を兼備した太王。
太王としての道理をわきまえ、正義感あふれる人物。
ソギハ役(ムン・ソリ)
権力を貧る妖艶なFemme fatale(妖婦)的イメージ
呪術にたけ、その能力を利用して大臣官になる。
スジニ役(未定)
朱雀の現身。主君であるダムドックを愛するが、ヨンガリョと大火天会の計略でダムドックから引き離されていく悲運の女主人公。
ヨンガリョ役(パク・サンウォン)
高句麗の国相(高句麗の最高官職)で貴族の代表者。ことあるごとにダムドックを妨害し、牽制する。ダムドック
の牽制者としてカリスマ性を感じさせる。知略的で邪悪な人物。
ヨンボケ役(ユン・テヨン)
ヨンガリョの息子。ダムドックとは同い年。父であるヨンガリョに認められることを願い、ダムドックを嫉みながらヨンガリョと共に
ダムドックを妨害する人物。
大火天会 長老役(チェ・ミンス)
虎族から派生した集団である大火天会の長老。真正な王の誕生を妨害しようとしている。ダムドックを消すことに必死になっている人物。
四神(チョン・ジニョン他)
ダムドックを助け、高句麗の勝利に導く。 |
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高句麗の歴史
高句麗 (高句麗, B.C. 37年頃 - 668年)は百済, 新羅とともに三国時代の古代国家中の一つだ.
地域的には現在の満洲と韓半島北部を約 700余年の間支配した国家だ.
建国
《三国史記》 〈高句麗本紀〉によればB.C.
37年東明聖王が卒本に都を作り、国名を高句麗にしたことが起源であり、原書によると吃升骨城に建国したと言う。
しかし東明王について言及した建国神話やあるいはその後のさまざまな情況を考えると、高句麗は滅亡した古朝鮮及び扶余出身の流移民とその地域の土着勢力が結合して成り立った国家だと推定される。B.C.
37年以前に建国された可能性が示されている。西暦
3年には尉那巌城に遷都して国内城を築いた。初期の高句麗は扶余及び漢の
4郡県との闘いの中で勢力を拡大し、肥沃な領土を占めるために積極的な征服活動をした。
またこのような過程の中で高句麗は王族である部を含んだソノ部,
チョルノ部,
スンノ部,
クァンノ部など五つ部族で成立つ連盟王国として成長した。
成長
53年に即位した太祖王の時に高句麗の
5部族は中央行政単位である
5部に統合された。
これにより高句麗は内部自治権を除いた軍事権と外交権が王に帰属される古代国家として発展した。 以後も各部族は、除々に中央貴族に吸収され、
197年に即位した山上王の時に王位継承の兄弟間相続が排除され、富裕者相続制が確立され王権がより強まった。
このような王権強化の背景には領土拡張があったが,
基本的に掠奪的経済が主だった高句麗が東海岸の玉箸を服属させて郡県に対する掠奪を行いながら経済的な成長を成したからだ。
しかし、このような征服活動は
244年魏国の母丘検が侵攻したため一時的に萎縮した。貧農が増えて貴族の奴隷になる自由民が増加すると,
故国川王の治世、名宰相ウルパソは
194年に賑貸法を実施して貧農を救済する政策を広げた。4世紀には中国大陸が五胡
16国時代となり混乱している時期に乗じ、高句麗の征服活動が活発に再開されたが,
美川王は
313年楽浪郡を占領することで韓半島での中国の勢力を完全に追い出し、
鴨緑江中流地域を脱し、南側の百済及び新羅と国境で隣り合う事で、南に進出する足掛りを準備した。
しかしまだ部族毎に散らばっている力を組織的に統合することができず、その次の故国原王の時には
342年の前燕の大々的な侵攻と
371年百済の近肖古王の侵攻によって首都が占領されて王が戦死するなど大きい国家的危機にあった。
隆盛
小獣林王はこのような危機を乗り越えるために高句麗の内部的な改革を通じる中興を試みた。
小獣林王は律令を発布して,
372年前秦から仏教を収容し国教とし、
太学という教育機関を設立した。 これを通し中央集権化がもっと進んだ。これを基盤に
5世紀の広開土太王と長寿王代に至っては、積極的な対外拡張を計り、大規模な征服事業を断行した。
391年に即位した広開土太王の時には西方では後燕を滅亡させ、北では扶余及び晨愼,
ビリョを服属させたし,
南側では百済を討って、倭と伽揶の侵攻をきっかけに新羅を保護国化したため、前魏―伽揶連盟を解体する結果に至った。
その後 413年に即位した長寿王の時、フンアンリョン一帯の草原地帯を掌握する一方、中国大陸の南北朝とそれぞれ交流しながら対立していた二つの勢力を操る外交政策を使い中国大陸を牽制した.
また
427年に平壌城に首都を移し、
続いて百済の首都漢城を落とすと漢江全地域を含む竹嶺一帯から南洋まで連結する線までその領土を広げると言う積極的な南下政策を繰り広げた。このように続いた対外拡張のため高句麗は東北アジアの覇者に君臨した。
高句麗は満洲と韓半島北部にかけた広大な領土を占め、政治制度を完備した強大国を形成し、中国の帝国たちとほとんど対等な地位で力を競うようになった。
衰退と滅亡
高句麗は
6世紀に入って徐々に衰退しはじめた。安原王の時には王位の継承問題で王族たちの間に内戦が起った。
このような内紛に乗じ、
551年百済と新羅が連合軍を組織して大々的な高句麗侵攻を敢行し漢江流域を占領した。同時期に北では突厥が勃興した。
この危機に対処するために高句麗は新羅と密約を結び、新羅と百済間の同盟を破る一方、 突厥の侵攻に対抗した。
突厥との戦争が膠着状態に至ると、高句麗はまた漢江流域を取り戻すために新羅を攻撃した。
この時、隋が中国大陸を統一し高句麗に服属を強要すると 高句麗は抗戦した.
隋は598年と
612年にそれぞれ侵攻して来たが、
特に二番目侵攻の時、乙支文徳将軍がサルスで活躍し大きな勝利をおさめた。(サルスの大勝)
結局隋はこの戦争の為滅亡し、 高句麗も国力に莫大な損失を被った。高句麗は隋の後の唐とも対抗した。
唐の侵攻に備える千里長城を築いたが、淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)はこの工事を監督しながら勢力を強めていった。
脅威を感じた中央貴族たちが淵蓋蘇文を排斥しようとすると、淵蓋蘇文は
642年政変を起こし栄留王含めた貴族たちを皆殺害し、
宝蔵王を王として立てた後、自らテマッリジになって政権を握った。淵蓋蘇文は対外強硬策を広げて
648年新羅と唐が連合するきっかけを作った。
645年太宗二世民が侵攻したが、アンシ城においてヤン・マンチュン将軍の活躍により撃退する事に成功した。
以後も唐は高句麗を侵攻して来たがその度に淵蓋蘇文が撃退した.
しかし淵蓋蘇文が死んだ後、その息子たちによる権力闘いが起き、結局百済を滅亡させ余勢を駆って侵攻して来る新羅-唐連合軍によって705年間続いた王国高句麗は
668年滅亡した。その後にもコム・モザム,
アンスンなどにより、高句麗復興運動が持続した。また671年まで,
アンシ城は
(宝蔵王が降伏したにもかかわらず)
陷落されないで残っていたとも伝えられる。 結局
698年、高句麗のチャンス出身である大祚栄が渤海を建国して、高句麗復興運動は一区切し、後に高句麗は渤海に継勝された。
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広開土太王
18 歳で王の座に就き、 21年間高句麗を導いた太王。
AD 373年、高句麗王室にダムドックと言う男子が誕生した。この子がまさしく高句
麗歴史上で、一番広く名前を知られた広開土太王だ。広開土太王は18歳という比較的若い時に王の座に就き、39歳の年の若さで亡くなった。
しかし、391年〜
412年までの彼が治めた21年は、高句麗の歴史を大きく変えた。太王が人々に広く知られたのは、太王の息子の長寿王が先王(父)の墓前に巨大な碑石を建て、それが
120余年前に新しく発見されたからだ。長い間忘れさられていた広開土太王の陵碑に記録された文を通し、私たちは初めて太王の真摯な生き方を知ることができた。広開土太王は高句麗の歴史上、一番輝かしい征伐活動を繰り広げた。
このために子孫たちが ‘大きく領土を広げた’(広開土)の ‘太王の立派な業績を称えて’(大王)と呼び、 一歩進んで
‘太王’と称したのだ。
* 契丹征伐と後燕攻撃で北方への進出の礎固め
御陵の碑文によれば広開土太王の最初の功績は、
395年に契丹族を征伐した事だ。太王は親衛軍を率いて、ウィムリョ山と老奴雅名山脈を通り、西遼河流域の塩水地域を攻撃して契丹族 3 部落
600〜700 人を打ち破った。 そして夥しい牛・馬・羊などを獲得し、1万人の高句麗人を解放し、高句麗へ凱旋した。また
騎兵軍を育成するため良馬を準備し、
長年の敵である慕容垂が建てた後燕を、北側で圧迫する事できる契丹族征伐は、高句麗の北方進出にとって大きな成果だった。その後広開土太王は、計画どおり後燕を積極的に攻撃した。遼河を越えて、後燕の首都に近い晨軍城を攻略し、ピョンズザサを敗北させた。404年には、後燕も後方にある現在の北京近くのヨングンも攻撃した。
このような高句麗の一方的な勝利が続く中、後燕は高句麗との抗争過程で内紛が起きたため、高句麗人の子孫である高雲が王位に就いた。
そこで高句麗は、高雲が建てた北燕を臣下の国とするようになった。 高句麗の影響力下にあった北燕は、
435年北魏の攻撃を受け滅亡の危機に直面すると高句麗に救援を要請し、王と多くの民たちが高句麗に亡命した。
* 東北・南方地方に勢力を拡大
広開土太王はまた東北地方にも勢力を大きく拡大した。410年広開土太王は親衛軍を率いて、東扶余を攻撃し、 64の 開城, 1400の部落を征伐した。
すると鄒牟王は太王に直ちに降伏した。高句麗はこの時、東部満洲と沿海州地域も一緒に占陵し、
また小規模の軍を送り、晨愼族と争い臣下の国としてしまった。大陸側だけではなく, 広開土太王は南側では百済を攻撃して屈服させ、
そして新羅の地に攻め寄せた伽揶・倭の連合軍を撃破した。また引き続き百済と倭の連合軍も退けた。 このように広開土太王は新羅を属国にし、
金冠伽揶を滅亡に至たらせ、 百済を屈服させて韓半島全体を大きく支配した。
* 領土拡張と同じく国の内実を固める事にも努力
太王がこのように短期間で高句麗の領土を拡大できたのは、先ず最高軍司令官としての能力が優れていたからだ。また鉄甲冑を身に着けた兵士を多く育成し,
王の親衛軍である王党軍を編成した。また海軍を育成し、水陸両面で立体的な作戦を繰り広げられるようにするなど、軍事部分での改革を成功させたからだ。
しかし、これよりもっと重要な要因は別にある。(
先王たち)小獣林王と故国壌王の時に行われた法や教育・宗教分野などでの改革で、国力を弛まず培った事が活発な征服活動を可能にしたのだ。
この点を充分に分かっていた広開土太王は、諸国への勢力拡張に努力するのと同じく、 高句麗の内実を固める為にも多くの努力を傾けた。陵碑文には
「太王の恩恵と恵沢が空に満ち溢れ、 威厳と武功は世界中を覆い、
悪者等を無くし去り、生業を楽になし、国は富み、民は潤い、五穀が豊穣だ」と記されている。碑文に見られるように、広開土太王はただ領地拡大のみの王ではなかった。太王は高句麗を豊かな暮らし良い国、
堂々とした大国に変貌させたのだ。太王の登場以後の高句麗は、地域の強国から脱し 東北アジアの大帝国として登場するようになる。 |
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高句麗のしるしである三足鳥 |
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** 三足烏の真実
龍や鳳凰のように派手でも趣もない三足烏だが、高句麗熱風(ブーム)の中で三足烏は欠かさず登場する。 この間放映された朱蒙(ジュモン)でも「朱蒙は新しい国を建てるでしょう。
三足烏の国を…」
という意味深長な台詞が登場した。 この台詞のように、最近のドラマでも高句麗を代表するシンボルとして三足烏がよく登場している。太陽中に住む三足付いた黒い鳥.
第一に、 三足烏は太陽(光明)崇拜の根源として、 東アジアの天子国の象徴で天孫
(天の国民)の意識を持っていた韓民族固有の象徴だ。
第二に、 一つの胴に 3個の足とは我が民族が古代から仕えた三神神様の三神一体思想をこの地に具現するという哲学を盛り込んでいるし、
また黒は五行で「水」を象徴し、生命と歴史の根源を意味する。
すなわち, 我が民族が人類太古文明の始原国であることを象徴化した物だ。 |
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四神
東(青龍), 西(白虎),
南(朱雀), 北(玄武)
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1. 東方青竜 - 木- 東方- 春-青色 |
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青竜は望と生命の誕生を治めるという。
竜は神聖な動物で天気を変化させて雷・ 稲妻を管掌することで知られる。王や皇帝の服飾にも用いられる一番神聖な動物として見られる。 |
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2. 西方白虎 - 金- 西方- 秋- 白色 |
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白虎は地を治めて死亡者を治める冥府の霊獣として現われたりする。
白虎は神聖な動物で実存している。 |
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3. 南方朱雀 - 火- 南方- 夏- 赤色 |
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朱雀は夏を現わす動物で鳳凰と似ている。
赤色を現わす灼熱の星座だ。
青竜と一緒に陰陽説では陽の霊獣と見なされる。 |
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4. 北方玄武 - 水- 北方- 冬- 黒色 |
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玄武は
蛇と亀の混合型で、雌である亀の頭と雄である蛇の頭が、円を描きながら交差する姿としてよく描かれている。
これは雄と雌がお互いに合わさり、和を成すという意味を持っている。
玄武は生命の終り(死)を知らせる北の守護神と思われ、(玄)は北の方角が黒を現わし、背中の亀の厚い甲羅が防御に優れていて、蛇の鋭い牙が(武)を表すと言われている。 |
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第一セット場 |
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第二セット場 |
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太王様が観覧する場所 |
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第二セット場(室内) |
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スタッフ達が泊まっているホテル |
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ペ・ヨンジュンが行って食べたチェジュドムという店 |
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9月5日済州空港に到着し待っているファンたちに手を振るペ・ヨンジュン |
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△セット製作中工事中(7月22日現在) |
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(工事中)3月末から工事が始まり、宮廷や撃球場、村のセットが出来る場所だが2006年4月9日現在
、まだ何も出来ていない状態。 |
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▲セット場から見えるところにある事務所内(ファンからの応援) |
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